
プライマリ・ケアサポート きらぼし、鍼灸師・看護師のKagayaです。
公務員看護師という立場は、世間的に見ればとても恵まれています。
定期昇給があり、福利厚生が整い、将来の見通しも立てやすい。
周囲からは「安定していていいね」「辞めるなんてもったいない」と言われることがほとんどでした。
実際、生活に困ることはなく、目の前の仕事をこなしていれば、大きな波風も立ちません。
それでも心の奥には、ずっと拭えない違和感がありました。
看護そのものを否定したいわけでもない。
ただ「このレールの上を、このまま何十年も進み続ける自分」を想像したときに、言葉にできない息苦しさを感じてしまったのです。
その感覚をごまかしながら働き続けることが、少しずつ自分を削っていくように思えました。
そんな中で、最終的に選んだのが、鍼灸師として開業するという道でした。
それは、安定を捨てて自由を求めた、という単純な話ではありません。
むしろ、自分がどんな環境なら無理なく働き続けられるのか、どんな形なら人と関われるのかを考えた末の選択でした。
雇われることが合わなかっただけで、医療やケアの現場から離れたかったわけではありません。
🌟 公務員看護師という「安定」の正体
通っていた学校が国立だったこともあり、卒業後は国立病院機構の病院で勤務していました。
配属されたのは、急性期を脱した患者さんが在宅復帰や施設入所を目指す病棟です。
身分は公務員。
学生時代には「そこに就職できたら安泰だよ」と言われることも多く、いわゆる王道ルートのひとつだったと思います。
実際、待遇面はとても整っていました。
定期昇給があり、福利厚生があり、退職金も約束されている。
よほどの不祥事を起こさない限り、職を失うことはありません。
周囲の人たちからは「恵まれている」「わざわざ辞める理由がわからない」と言われ続けていました。
その言葉自体は、善意から出ていることも分かっていました。
生活は安定していました。
毎月決まった日に給料が入り、将来のライフプランも立てやすい。
働き方に大きな変化がなければ、このまま定年まで働き、老後を迎えることも十分に可能だったと思います。
世間一般で言われる「安定した人生」の条件は、ほぼ揃っていました。
ただ、今振り返ると、その状態は温室育ちのペットにとてもよく似ていたと感じます。
雨風はしのがれ、餌は決まった時間にもらえ、危険からは守られている。
その代わり、外の世界を自分の足で確かめる必要はなく、進む方向もあらかじめ決められています。
組織に適応し、求められる役割を果たしていれば、深く考えなくても人生は進んでいく仕組みでした。
「看護の仕事だけをしていればいい」という言葉は、一見とても魅力的です。
専門職として評価され、決められた枠組みの中で働くことは、安心感にもつながります。
でも同時に、自分で選び、考え、責任を引き受ける場面が極端に少なくなっていく感覚もありました。
良くも悪くも、個人でなく「組織の一部」として扱われる世界です。
そんな中で、ふと立ち止まる瞬間がありました。
「この場所で、この働き方のまま、老後まで過ごす自分」を想像したときです。
その瞬間、言葉にしがたい強い恐怖を感じました。
忙しさや人間関係のストレスではなく、もっと根源的な、逃げ場のない感覚でした。
安定しているはずなのに、なぜこんなにも息苦しいのか。
何が不満なのか、当時はうまく説明できませんでした。
ただ、このまま何も疑問を持たずに働き続けたら、自分の人生を「自分で生きている」という実感が持てなくなるのではないか、そんな不安だけが、静かに積み重なっていきました。
公務員看護師という「安定」は、確かに多くの人にとって魅力的な環境です。
でもそれが、すべての人にとって安心や幸福につながるとは限りません。
守られていることと、自分に合っていることは、必ずしも同じではない。
そのことに気づいたのが、Kagayaにとっての大きな転機でした。
🌟 「あなたの看護観は何?」という違和感
リハビリ病棟で働いていた頃、何度か投げかけられた言葉があります。
「あなたの看護観は何?」
看護師であれば、自分なりの看護観を持っていて当然。
理想の看護師像があり、それを言葉にできることが成長の証。
そんな空気が、職場には確かにありました。
この問い自体が悪いわけではありません。
実際、強い信念を持って看護に向き合っている人もたくさんいます。
ただ、その問いに対してうまく答えられない自分は、どこか「足りない存在」として見られているように感じていました。
理想を語れないことは、覚悟が足りないこと。
志が低いこと。
そんな無言の評価が、じわじわと伝わってくるような感覚です。
Kagayaにとって、看護は生活のための仕事でした。
それは決して、手を抜くとか、責任感がないという意味ではありません。
目の前の患者さんに必要なケアを提供し、安全に、誠実に働く。
その対価として給料をもらい、生活を成り立たせる。
仕事と人生を切り分けて考えたかっただけです。
けれど現場では、「生活のために働く」という感覚は、どこか受け入れられにくいものでした。
看護は奉仕であり、使命であり、自己実現の場であるべきだという価値観が、暗黙の前提として存在していたように思います。
その前提に共感できない自分は、少しずつ居心地の悪さを感じるようになりました。
「看護師の鏡になりたいわけでもない」「誰かの理想像を体現したいわけでもない」。
そう思えば思うほど、職場で求められる姿とのズレがはっきりしていきました。
やるべき業務はこなしているはずなのに、心のどこかで常に評価されていない感覚が残る。
その積み重ねは、想像以上に消耗します。
リハビリ自体は、決して嫌いではありませんでした。
回復していく過程を支えることにも意味を感じていました。
ただ、高齢者看護を一生の仕事として続けたいかと問われると、答えは違いました。
その正直な感覚を、当時の自分はうまく言葉にできなかったのだと思います。
「あなたの看護観は何?」という問いは、本来、個人の内側を探るためのものです。
でもKagayaにとっては、その問いが「正解を持っているかどうか」を測る物差しのように感じられました。
理想を語れない自分は、この世界では未熟なのだろうか。
そんな疑問が、静かに心を占めていきました。
今振り返ると、その違和感はとても大切なサインだったと思います。
看護が合わなかったのではなく、「看護師はこうあるべき」という枠組みに、自分を無理に押し込めようとしていたことが苦しかった。
そのことに気づくまでに、少し時間がかかりました。
この問いに違和感を覚えた経験は、後に「雇われて働くことが合わない」という気づきにつながっていきます。
そして、それが別の道を選ぶきっかけになりました。
「看護観を持てない自分はダメなのか?」という問いは、やがて「自分に合う働き方は何か?」という問いへと、静かに形を変えていったのです。
🌟 「ここは居場所ではない」と気づいた瞬間
Kagayaの好きなアニメの『スタードライバー』中に、今でも強く印象に残っている言葉があります。
「やりたいことと、やるべきことが一致する時、世界の声が聞こえる」
初めてこの言葉を聞いたとき、不思議な感覚がありました。
胸が高鳴ったわけでも、背中を押されたような勢いがあったわけでもありません。
ただ、心の奥に静かに沈んでいくような、妙な納得感がありました。
そして同時に、はっきりと分かったことがあります。
今、自分がいる場所では、この「世界の声」は聞こえない、ということでした。
仕事が忙しいからでも、人間関係がつらいからでもありません。
評価されていないと感じたからでも、待遇に不満があったからでもない。
表面的な理由はいくらでも後付けできますが、本質はもっと単純でした。
「ここに自分の居場所はない」と、身体が先に理解してしまったのです。
やるべきことは、確かにありました。
看護師として求められる役割、組織の一員として果たすべき責任。
それらは理解していましたし、実際に真面目に取り組んでいたと思います。
でも、「やりたいこと」と重なっているかと問われると、答えは違いました。
そのズレは、日々少しずつ積み重なっていきました。
無理に適応しようとすればするほど、自分の輪郭が曖昧になっていく感覚がありました。
何を感じているのか、何を望んでいるのかが分からなくなり、「ちゃんとやっているはずなのに、どこにも辿り着いていない」ような感覚だけが残る。
そんな状態が、長く続いていました。
この言葉に出会ったことで、初めてその違和感に名前がついた気がしました。
やりたいことと、やるべきことが一致していない。
だから、世界の声が聞こえない。
それは能力不足でも、努力不足でもなく、ただ場所が合っていなかっただけなのだと、少しずつ理解できるようになりました。
その気づきは、とても静かなものでした。劇的な決意表明をしたわけでも、強い反発心があったわけでもありません。
ただ、このままここに留まり続けることの方が、自分にとっては不自然だと感じただけです。
その感覚をごまかし続ける方が、ずっと苦しいと思いました。
こうして、公務員看護師という立場を辞める決断をしました。
それは逃げではなく、挑戦でもなく、「自分に合わない場所から降りる」という、ただそれだけの選択だったように思います。
正しさや合理性よりも、自分の感覚を信じることを選んだ瞬間でした。
今振り返っても、この決断に後悔はありません。
あのとき感じた「世界の声が聞こえない」という感覚は、間違いなく自分を守るためのサインだったのだと思います。
居場所ではない場所に、無理に居続けなくていい。
そのことを、この言葉が静かに教えてくれました。
🌟 世間を知らなかった「国のペット」だった自分
公務員看護師という立場を離れたあと、自分には他にどんな選択肢があるのだろうと考えました。
たまたま募集のあった特別支援学校の支援員として働くことでした。
医療的ケアや障がい児支援に関わり続けられる道として、当時の自分には自然な選択肢に思えたのです。
しかし、そこで初めて「世間の給料水準」という現実に直面しました。
公務員看護師として当たり前だと思っていた収入や待遇が、実はかなり恵まれたものだったことを、数字として突きつけられた瞬間でもありました。
生活を成り立たせること自体が、こんなにもシビアなのかと、正直戸惑いました。
そのとき、ふと浮かんだ言葉があります。
「これが、守られていない世界なのか」
それまでの自分は、知らず知らずのうちに、制度に守られた場所で生きてきたのだと思います。
安定した雇用、一定以上の給与、福利厚生。
努力や能力以前に、「所属しているだけで守られる」構造の中にいました。
そのことに、辞めて初めて気づきました。
結果として選んだのが、重症心身障害児(者)専門病院の看護師に戻ることでした。
医療的ケアの必要な方と関わる仕事であり、待遇も準公務員に近い形です。
一見すると、元の環境に戻ったようにも見えます。
実際、収入面の不安はある程度解消されました。
しかし、そこで新たな違和感が生まれます。
夜勤という働き方、そして集団行動が前提となる職場環境が、どうしても自分には合いませんでした。
仕事の内容以前に、「同じリズムで、同じ場所に、同じメンバーと居続ける」こと自体が、少しずつ負担になっていったのです。
次に働いたのが、放課後等デイサービスでした。
少人数制で、子ども一人ひとりと向き合える環境です。
「今度こそ合うかもしれない」と思いました。
ところが、ここでも同じ感覚に行き当たります。
人数が少なくても、同じ空間、同じ人間関係の中で働き続けることが、想像以上に苦痛だったのです。
この頃になって、ようやく気づきました。
問題は職種や対象ではなく「雇われて、組織の一員として固定された場所に居続ける」という働き方そのものだったのだと。
環境を変えても、形が同じなら、同じ息苦しさを感じてしまう。
その事実を、何度も確認することになりました。
振り返ると、自分はずっと「国のペット」だったのだと思います。
守られた檻の中で、外の厳しさを知らずに生きてきた。
その檻から出て初めて、世間の現実を知り、同時に、自分が何に耐えられず、何なら続けられるのかが、少しずつ見えてきました。
この時期は、決して楽な時間ではありませんでした。
でも、世間を知り、自分を知るためには、必要な過程だったのだと思います。
守られていたからこそ気づけなかったこと、守られなくなったからこそ見えたこと。
その両方が、後の選択につながっていきました。
🌟 訪問看護で知った「お金」と「構造」
訪問看護ステーションで働き始めて、初めて「民間企業としての医療」の現実を知りました。
それまで経験してきた公的色の強い職場とは、前提となるルールや価値観がまったく違っていたからです。
まず驚いたのは、雇用条件でした。
・6か月働かないと有給休暇が付与されない
・就職した月は給料が出ない
制度として説明されれば理解はできますが「働いているのに収入が不安定になる期間がある」という事実は、これまでの感覚とは大きく異なっていました。
守られていた世界から一歩外に出ると、生活はこんなにも個人の責任に委ねられるのかと、身をもって知ることになります。
同時に、訪問看護がどのように成り立っている事業なのかも、少しずつ見えてきました。
訪問看護はボランティアではありません。
れっきとしたビジネスであり、診療報酬によって運営されています。
1回の訪問、1時間あたりの診療報酬は、おおよそ医療保険だと10,000円前後です。
では、その報酬がどのように分配されているのか。
実際に現場で働くKagayaの時給は2,000円でした。
残りは、人件費以外の経費や事業所の利益、運営コストに回っていきます。
数字として並べてみると、その差はとても分かりやすいものでした。
この仕組み自体が悪いと言いたいわけではありません。
事業所を維持するには、事務職員や管理者の存在、設備、保険、車両費など、さまざまなコストがかかります。
ただ、その構造を知ってしまったことで、以前のように「やりがい」だけを原動力に働くことが難しくなってしまいました。
看護師が多く訪問し、稼働すればするほど、事業所の売上は上がります。
一方で、現場で働く看護師の負担は増え、疲弊していく。
さらに、診療報酬の原資は社会保険料であり、その不足分は最終的に保険料の引き上げという形で国民全体に跳ね返ってきます。
この流れを俯瞰して見たとき、ふと気づいてしまいました。
これは個人の努力や使命感でどうにかなる問題ではなく、構造そのものの問題なのだと。
現場の「やりがい」に依存することで、システムが成り立っている。
その現実に、目を背けられなくなりました。
いわゆる「やりがい搾取」という言葉がありますが、当時の自分は、まさにその渦中にいたのだと思います。
誰かの役に立っているという実感と、自分の生活や将来への不安。
その両方を同時に抱えながら働くことに、次第に限界を感じるようになりました。
訪問看護での経験は、看護そのものを嫌いにさせたわけではありません。
むしろ逆で、ケアの価値や必要性を、より強く実感する時間でもありました。
ただ「雇われる立場で、この構造の中に居続けること」は、自分には合わない。
その結論だけが、はっきりと残りました。
この気づきが、後に「自分で価格を決め、自分で責任を負う働き方」へと視線を向けるきっかけになります。
お金の話を避けず、構造を理解した上で、どんな形でケアに関わるのかを選びたい。
そう考えるようになったのは、この訪問看護での経験があったからでした。
🌟 なぜ鍼灸師として開業する道を選んだのか
ここまでの経緯を振り返っても、ひとつはっきりしていることがあります。
看護そのものが嫌になったわけではありません。
患者さんと関わること、ケアを提供すること、その価値を疑ったことは一度もありませんでした。
問題だったのは仕事内容ではなく、「雇われて働く」という形そのものだったのだと思います。
どの職場に行っても、どんな対象に関わっても、同じ息苦しさを感じてしまう。
その理由が、ようやく言葉になりました。
看護師が独立する道として、最も一般的なのは訪問看護ステーションの開設です。
ただし、それは基本的に一人では成り立ちません。
管理者、複数のスタッフ、事務職員。
チームで運営し、組織として回していく必要があります。
その形は、多くの看護師にとって理にかなっていますし、地域医療を支える重要な仕組みでもあります。
ただ、自由に働きたい、自分の裁量で時間や関わり方を決めたいと考えていたKagayaにとっては、どうしても同じ構造を繰り返すように感じられました。
雇われる側から、雇う側に立場が変わるだけでは、本質は変わらないと思ってしまったのです。
そこで視野に入ってきたのが、鍼灸師という資格でした。
鍼灸師には、個人で開業する権利があります。
極端な話、ひとりでも始められる。
自分の裁量で価格を決め、提供するケアの内容を考え、責任もすべて自分で引き受ける。
そのシンプルさが、当時の自分にはとても魅力的に映りました。
もちろん、安易な選択ではありませんでした。
鍼灸師になるためには、3年間学校に通い、国家資格を取得する必要があります。
時間もお金もかかりますし、将来が保証されているわけでもありません。
それでも「この形なら、少なくとも自分をごまかさずに働けるかもしれない」と感じました。
こうして、鍼灸師の道に進むことを決め、3年かけて資格を取得しました。
学び直しは決して楽ではありませんでしたが、看護とは違う視点から身体や人を捉える経験は、新鮮でもありました。
同時に「資格を取れば何とかなる」という考えが幻想であることも、少しずつ理解していきます。
今ならはっきり言えます。
開業することと、事業を運営し続けることは、まったく別物です。
資格はあくまでスタートラインに過ぎません。
どうやって人に知ってもらうのか、どうやって対価をいただくのか、どうやって生活を成り立たせるのか。
そこには、看護師として働いていた頃には考えなくてよかった課題が、山のようにありました。
それでも、この道を選んだことに後悔はありません。
雇われることが合わなかった自分にとって、すべての責任を自分で引き受ける働き方は、不安と同時に納得感をもたらしてくれました。
誰かの理想に合わせるのではなく、自分の感覚で「これでいい」と言える場所に、ようやく立てた気がしています。
鍼灸師として開業する道を選んだのは、特別な夢があったからではありません。
ただ「この形なら続けられる」と思えたからです。
その感覚を信じた結果が、今につながっています。
🌟 野良として生きるという選択
国のペットでも、誰かのペットでもない。
野良として生きる方が、Kagayaには生きている実感がありました。
ここで言う「野良」とは、無計画に放り出されることでも、孤独に耐えることでもありません。
守られた檻の中にいないという意味での野良です。
保証も肩書きも与えられない代わりに、自分で選び、自分で考え、自分で責任を引き受ける立場に立つということです。
公務員看護師として働いていた頃は、良くも悪くも「役割」が先にありました。
期待される姿、求められる振る舞い、評価の基準。
その枠にうまく収まっていれば、生活は安定します。
でも同時に、その枠からはみ出した感覚や違和感は、なかったことにされていきました。
野良になるという選択は、その枠組みから一度降りることでした。
正解が用意されていない場所に立つことは、不安でもあります。
実際、収入が不安定になることもありますし、誰かが守ってくれるわけでもありません。
それでも「自分で選んでいる」という感覚は、これまでにない納得感をもたらしました。
医療従事者の世界では「安定していること」が美徳として語られる場面が多くあります。
保険制度の中で働くこと、組織に属することは、多くの人にとって安心につながります。
その価値を否定するつもりはありません。
ただ、それが唯一の道ではない、ということも事実です。
保険に頼らず、自分の力でお金を稼ぐという選択は、医療従事者にとっては異端に見えるかもしれません。
「それで食べていけるの?」「不安じゃないの?」と聞かれることもあります。
でも、雇われていても不安がゼロになるわけではありません。
形が違うだけで、不安はどこにでも存在します。
違いがあるとすれば、その不安を誰のものとして引き受けるかです。
野良として生きる選択は、不安を外部に預けず、自分のものとして抱えるという決断でもありました。
その代わり、働き方や関わり方を自分で調整できる余地が生まれました。
看護師として、鍼灸師として、どちらの資格も今の自分を形作っています。
でも、それ以上に大きいのは、「どこに属するか」ではなく「どう在るか」を選べるようになったことです。
誰かの理想像に合わせるのではなく、自分が無理なく続けられる形を探し続ける。
その姿勢こそが、野良として生きるということなのだと思います。
この道は、決して万人におすすめできるものではありません。
安定を重視する人にとっては、向かない選択です。
ただ「このままでいいのだろうか」と感じながら働いている医療従事者がいるなら、その感覚を否定しなくていい、ということは伝えたいと思っています。
医療従事者にも、保険制度の外で、自分の力で価値を提供し、対価を得る道はあります。
それは華やかな成功談ではなく、地味で、試行錯誤の連続です。
それでも、自分で選んだ道を歩いているという実感は、何ものにも代えがたいものでした。
野良として生きるという選択は、逃げでも反抗でもありません。
自分の感覚を信じて、自分の足で立つという、ただそれだけの選択です。
そして今のKagayaにとって、それは確かに「生きている」と感じられる生き方でした。
🌟 まとめ|安定を手放した先にあったもの
安定は、安心とは限りません。
守られている場所が、必ずしも自分の居場所とは限らない。
改めて感じるのは、「安定」という言葉が持つ力の強さです。
公務員看護師という立場は、世間的には成功や安心の象徴として語られることが多く、そこに疑問を持つこと自体が贅沢だと言われることもあります。
でも実際には、安定しているかどうかと、その場所が自分に合っているかどうかは、まったく別の問題でした。
守られている環境の中でも、人は違和感を抱きますし、息苦しさを感じることもあります。
その感覚は、甘えでも逃げでもなく、ごく自然なものだと、今は思っています。
特別な成功体験ではありません。
華やかな独立ストーリーでも、誰でも真似できるノウハウでもない。
ただ、公務員看護師として働き、違和感を覚え、構造に気づき、自分なりの選択を重ねてきた、その過程の記録です。
振り返ると、何度も遠回りをしてきました。
環境を変えても同じ違和感にぶつかり「自分が弱いのではないか」「どこに行っても続かないのではないか」と悩んだ時期もあります。
でも、その経験があったからこそ「問題は能力ではなく、形だった」という結論にたどり着けました。
雇われて働くことが合う人もいます。
組織の中で力を発揮できる人もいます。
その価値を否定するつもりはありません。
ただ、それが唯一の正解ではないということも、また事実です。
医療従事者であっても、保険制度の外で、自分の裁量と責任で働く道は存在します。
鍼灸師として開業し、野良として生きる選択をした今も、不安がなくなったわけではありません。
収入が不安定になることもありますし、すべてが自己責任です。
それでも「自分で選んでいる」という感覚は、これまでのどんな安定よりも、確かな安心感を与えてくれています。
もし、この文章を読んでいるあなたが、公務員看護師として、医療従事者として、「このままでいいのだろうか」と感じているなら、その感覚を無視しなくていいと思います。
すぐに辞める必要も、何かを決断する必要もありません。
ただ、その違和感に名前をつけるところから、すべては始まります。
安定を手放すことが正解なのではありません。
自分に合った形を探し続けることが、大切なのだと思います。
その選択肢のひとつとして、こんな生き方もある。
そのことが伝われば、この文章には十分な意味があります。
守られている場所から一歩外に出る勇気ではなく、自分の感覚を信じる静かな強さを、そっと思い出すきっかけになれたらと思っています。
🌟 きらぼしの活動について
プライマリ・ケアサポート きらぼしは、「治療をする場所」だけではありません。
不調がはっきり病名になる前、壊れてしまう一歩手前で、立ち止まれる場所でありたいと考えています。
鍼灸師として、看護師として、医療や福祉の現場を経験してきたKagayaが、制度の内側と外側、その両方を知った上で「無理なく続けられるケア」「生活と地続きのケア」を大切にしています。
対象は、障がいのある方やそのご家族、医療・福祉に関わるケアラー。
そして「なんとなく不調だけど、どこに相談していいかわからない」方です。
🌟 提供しているサービス
きらぼしでは、保険に依存しない形で、以下のようなケアを行っています。
- 自律神経の乱れや慢性的な疲労に対する鍼灸ケア
- 医療的ケア児・障がい児(者)への訪問鍼灸・看護的サポート
- 耳介鍼・耳つぼを用いた負担の少ない調整ケア
- ケアラー(医療・福祉従事者・家族)のためのコンディショニング
「治す」「改善する」だけでなく、今の状態で、どうすれば少し楽に生きられるかを一緒に考えることを大切にしています。
訪問での対応や、シェアサロンでの施術など、その方の生活状況に合わせた形で関わっています。
🌟 相談について
「いきなり予約するほどではないけれど、少し話を聞いてほしい」
「これって鍼灸で相談していいことなのかわからない」
そんな段階の方のために、LINEでの相談窓口を設けています。
症状のこと、生活のこと、働き方のこと。
はっきり整理されていなくても構いません。
今感じている違和感を、そのまま言葉にしてもらって大丈夫です。
答えを出すための相談ではありません。
一緒に考えるための場所として、気軽に使ってもらえたらと思っています。

