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広告 きらぼし成長日記

きらぼしのヴィジョンとロードマップ― 看護師から鍼灸師へ、そして「予防の文化」をつくるまで ―

2026-01-10

こんにちは~。
プライマリ・ケアサポート きらぼし、鍼灸師・看護師のKagayaです。

今、Kagayaは看護師として生計を立てています。

医療やケアの現場に関わりながら、人の生活や人生の一部に触れる日々を送ってきました。

そこでは、病気や障がいだけでなく、その人が置かれている環境、家族関係、仕事、役割、積み重ねてきた選択の結果までもが、静かに身体や心に表れていることを、何度も目の当たりにしてきました。

けれど同時に、Kagaya自身の中には、ずっと消えない違和感がありました。

それは、「この関わり方だけで、本当に人の暮らしを支えられているのだろうか」という問いです。

医療として必要な支援を届けながらも、その枠組みだけでは届かない部分が確かに存在している。

そう感じる場面が、少しずつ増えていきました。

そんな中で、Kagayaが将来の軸として明確に定めたのが、鍼灸師として生活していくという選択でした。

これは、今まで積み上げてきた看護の経験を否定するものではありません。

むしろ、看護師として医療の内側を見てきたからこそ、あえて医療の外側に立ち、別の角度から人と社会を支えたいと考えるようになった結果です。

この選択は、よくある「転職」の話ではありません。

肩書きを変えることや、職種を移ることが目的なのではなく、どこに立ち、どんな距離感で人と関わるのかという、生き方そのものを見直した結果です。

医療の内側にいた人間だからこそ見える風景があり、だからこそ担える役割がある。

Kagayaはそう考えています。

医療は、多くの命を救い、生活を支えてきた大切な仕組みです。

一方で、その制度や専門性の枠組みの中では、どうしても拾いきれない声や感覚があります。

診断名がつかない不調、数値には表れない疲れ、役割を背負い続けた末の消耗。

そうしたものに、もう少し早い段階で寄り添える場所があったなら、人生の選択肢は変わっていたかもしれない。

Kagayaは、そう感じるようになりました。

その思いを形にするために立ち上げたのが、「きらぼし」という事業です。

きらぼしは、治療の場である以前に、立ち止まり、自分の感覚に戻るための場所でありたいと考えています。

医療と日常のあいだ、支える側と支えられる側のあいだ、そのどちらにも完全には収まらない人たちが、安心して呼吸できる余白をつくること。

看護師として培ってきた視点と、鍼灸師としてこれから深めていく技術。

その両方を持つKagayaだからこそできる関わり方があります。

医療の内側を知っているからこそ、外側から支える意味がわかる。

その立ち位置を選び取った先に、きらぼしという灯りがあります。

🌟 医療の現場で感じてきた限界

Kagayaは、看護師として医療という仕組みの内側に関わってきました。

病院に限らず、制度に基づいた医療・ケアの現場では、診断名や指示、ルールに沿って支援が行われます。

それは多くの人の命と生活を守ってきた、大切で必要な仕組みです。

医療があるからこそ救われた命があり、支えられてきた日常があります。

その価値を否定するつもりはありませんし、Kagaya自身も、その一端を担ってきた一人です。

ただ、医療の仕組みに近く関わるほど、強く感じるようになったことがありました。

それは、医療が本格的に介入できるのは、状態がかなり進んでからだという現実です。

診断名がつき、数値や所見として「異常」が示され、制度の対象になってはじめて、医療はフルに動き出します。

しかし、そのずっと手前には、医療の対象になりにくい、けれど確実に存在する「しんどさ」の段階があります。

  • 理由がはっきりしない体調不良
  • 慢性的な疲労や睡眠の質の低下
  • 生活環境や人間関係による心身の消耗
  • ケアを担う側の限界や孤立

これらは検査や数値では拾われにくく、「様子を見ましょう」「気のせいかもしれません」と流されてしまうことも少なくありません。

本人ですら、「まだ大丈夫」「自分が弱いだけ」と、自分の感覚を後回しにしてしまいがちです。

特にKagayaが強い問題意識を持ってきたのは、医療従事者や福祉関係者自身が、このグレーゾーンに長く留まり続けているという現実でした。

支える立場にある人ほど、自分の不調を後回しにし、「自分が倒れたら現場が回らない」「この程度で休めない」と、無意識に自分を追い込んでしまう。

看護の現場に関わる中で、真面目で責任感の強い人ほど、無理を重ねていく姿を何度も見てきました。

疲れや違和感を感じながらも、それを言葉にできず、限界のサインに気づかないふりをしてしまう。

そして、ある日突然、心や身体が動かなくなる。

そうなって初めて、「患者」という立場になり、休職や治療が必要になります。

しかし、そこから回復するまでには、長い時間とエネルギーが必要になることも多く、元の生活に戻ること自体が大きな負担になる場合もあります。

Kagayaは、この構造そのものに強い違和感を抱いてきました。

なぜ、壊れてからでなければ立ち止まれないのか。
なぜ、支える人ほど支えられにくいのか。

医療が悪いのではありません。制度が間違っていると単純に言いたいわけでもありません。ただ、医療という枠組みだけではすくい取れない領域が、確かに存在している。その隙間に落ちてしまう人たちがいる。その現実を、現場に近い立場で見続けてきました。

壊れる前に、少し立ち止まれる場所があったなら。
診断がつく前に、整える選択肢があったなら。

この問いが、Kagayaが医療の外側からできることを考え始めた原点であり、「きらぼし」という事業につながっています。

医療を否定するのではなく、医療だけでは届きにくい場所に、そっと灯りを置く。

その役割を担いたいと考えるようになったのです。

🌟 きらぼしが目指すコミュニティ

きらぼしがつくりたいのは、治療や施術を受けることだけを目的とした場所ではありません。

ケアをする人、障がいのある人、その家族が、安心して集い、自分を取り戻せるコミュニティです。

医療や福祉、教育の現場では、「誰かのために動くこと」「役割を果たすこと」が日常になります。

支援計画、判断、責任、配慮。

その一つひとつは必要で大切なものですが、同時に、自分自身の感覚や疲れを後回しにしてしまう構造も生み出しています。

きらぼしは、そうした日常から一歩離れ、役割や肩書きをいったん降ろしていられる場所でありたいと考えています。

対象としているのは、次のような人たちです。

  • 看護師・療法士・医師などの医療従事者
  • 福祉・教育の現場で働く人
  • 障がいのある人とその家族
  • 制度の狭間で孤立しがちなケアラー

これらの人たちに共通しているのは、「支える側」に立つ時間が非常に長いという点です。

常に誰かの状態を気にかけ、先回りし、判断し続ける。

その積み重ねによって、自分がどれだけ疲れているのか、自分の身体が何を感じているのかに気づきにくくなってしまいます。

きらぼしでは「治す人/治される人」という関係性を前提にしません。

誰かが上で、誰かが下という構図を持ち込まず、一人の人として同じ地面に立つことを大切にしています。

呼吸が浅くなっていないか?
身体に力が入り続けていないか?
頭だけで頑張り続けていないか?

ここでは、そうしたことを「評価」や「改善」の対象にするのではなく、ただ気づくことを大切にします。

呼吸を整え、身体の感覚に戻るための場所であることが、きらぼしの根幹です。

役に立たなくても、頑張らなくても、そこにいていいという感覚を何よりも大切にしています。

何かを成し遂げなくてもいい。
元気にならなくてもいい。
前向きになれなくてもいい。
話さなくてもいいし、笑わなくてもいい。
ただ座っているだけ、ただ呼吸しているだけでもいい。

その「何もしなくていい時間」こそが、現代のケアにおいて最も不足しているものだと、Kagayaは感じています。

ケアとは、必ずしも誰かが誰かに「何かをすること」ではありません。

安心して力を抜ける環境があること、それ自体が回復や再出発の土台になります。

きらぼしは、その土台を静かに支える存在でありたいと考えています。

医療でもなく、福祉でもなく、完全な日常でもない。

そのあいだにある場所として、きらぼしは存在します。

支える人が、支えられる側に戻れる場所。

役割を脱いだ人同士が、同じ目線で呼吸できる場所。

そんなコミュニティを時間をかけて育てていきたいと考えています。

🌟 きらぼし事業ロードマップ

【Phase1】訪問から始める(現在〜)

きらぼしは、訪問鍼灸・訪問ケアからスタートしました。理由は明確です。生活を見ずに、ケアはできないと考えたからです。

  • 固定費を最小限に抑えられる
  • 本当に困っている人の生活に触れられる
  • 技術と思想があれば始められる

効率や拡大よりも、現場の温度を知ることを優先したフェーズです。

【Phase2】シェアサロンでの実践と学習

次に選んだのが、シェアサロンという形でした。
集客、価格、言葉、空間。すべてを行動しながら学ぶ期間です。

マーケティングを理論ではなく、身体感覚として理解すること。それが次のフェーズにつながる土台になると考えています。

【Phase3】コミュニティ型鍼灸カフェの実現

その先に描いているのが、コミュニティ型の鍼灸カフェです。
気軽に立ち寄れて、お茶を飲みながら身体や生活の話ができる。必要な人には施術という選択肢がある。

不調になってから行く場所ではなく、日常の延長線にある予防の場を目指します。

【Phase4】医療従事者のための創業支援拠点へ

最終的には、医療従事者のための創業支援拠点へ。
技術だけでなく、制度・お金・事業について学べる場所をつくります。

「この働き方しかない」と思い込まなくて済む社会への布石です。

🌟 きらぼし事業ロードマップ

きらぼしは、いきなり「完成形」をつくる事業ではありません。

Kagayaは、医療やケアの現場に関わる中で、正しさや制度だけでは届かないものがあることを感じてきました。

だからこそ、きらぼしは最初から大きく構えるのではなく、小さく始めて、現場で確かめながら育てていくという方法を選びました。

ロードマップは、単なる事業計画ではなく、Kagayaにとっては「思想を現実に着地させる順番」です。

理念だけでは人の生活は変わりません。

けれど、現場で試し、届け、修正し続けることで、理念は初めて“生活の形”になります。

きらぼしは、その積み重ねの途中にあります。

ここでは、きらぼしの現在地と、これからの道筋を4つのフェーズとして整理します。

【Phase1】訪問から始める(現在〜)

きらぼしは、訪問鍼灸・訪問ケアからスタートしました。

理由は明確です。

Kagayaは、生活を見ずに、ケアはできないと考えているからです。

どれだけ知識や技術があっても、その人がどんな部屋で、どんな姿勢で眠り、どんな食事をし、どんな緊張を抱えながら日々を過ごしているのか。

そこに触れずに「整える」を語ることはできない。

これが、きらぼしの土台です。

訪問には、現実的な強みもあります。

固定費を抑えられることはもちろんですが、それ以上に大きいのは、本当に困っている人ほど外出が難しいという事実です。

障がいのある方や、その家族、介護・育児・仕事を抱えたケアラーは、体調が悪くても「通う」こと自体が負担になります。

訪問は、その負担を最小限にしながらケアを届けられる形です。

  • 固定費を最小限に抑えられる
  • 本当に困っている人の生活に触れられる
  • 技術と思想があれば始められる

そしてもう一つ、訪問には「現場の温度」があります。

家の空気、生活動線、家族の疲れ、本人の表情。

そうした情報は、問診票だけでは見えてきません。

Kagayaは効率や拡大よりも、まずは現場でしか得られない気づきを優先するフェーズとして、訪問を起点にしました。

【Phase2】シェアサロンでの実践と学習

次に選んだのが、シェアサロンという形でした。

これは「店舗を持つ前の準備」という意味だけではありません。

Kagayaにとってこのフェーズは、届け方そのものを、行動しながら学ぶ期間です。

訪問は深く入れる反面、出会える人数には限りがあります。

一方で、シェアサロンは「知らない人と出会う」入口になります。

ここで問われるのは、施術技術だけではありません。

言葉、価格、空間、導線、説明の仕方など、相手に届くまでのすべてです。

たとえば同じ内容でも、言い方ひとつで安心する人もいれば、身構える人もいます。

価格も同じで、「高い」と感じる人もいれば、「この金額だから任せられる」と感じる人もいます。

空間も同様で、光の強さ、匂い、音、座り方の距離感だけで、緊張が強まる人もいます。

Kagayaは、この“微差”がケアに与える影響を、頭ではなく身体で学びたいと考えています。

つまりこのフェーズは、マーケティングの勉強というより、伝わり方の研究です。

きらぼしの思想を、現場に適した形で翻訳し、必要な人に届くよう整えていく。

そのための土台づくりとして、シェアサロンを選びました。

【Phase3】コミュニティ型鍼灸カフェの実現

その先に描いているのが、コミュニティ型の鍼灸カフェです。

Kagayaがつくりたいのは、「不調になってから駆け込む場所」ではなく、日常の延長線にある予防の場です。

気軽に立ち寄れて、お茶を飲みながら身体や生活の話ができる。

必要な人は施術を受けられる。

けれど「施術を受けないと来てはいけない場所」にはしない。

ここが重要だと考えています。

人は、追い詰められるほど、予定を立てることが難しくなります。

だからこそ、ふらっと立ち寄れる余白があることが、予防の入り口になります。

鍼灸カフェという形は、単におしゃれなコンセプトではありません。

Kagayaにとっては、相談とケアが自然に起こる場です。

医療機関のように「症状」を言語化しなくても、日常の話の中から身体のサインが見えてくることがあります。

そうした“言葉になる前”の段階で立ち止まれることが、きらぼしの目指す予防です。

そしてコミュニティ型である以上、そこには「人と人のつながり」も生まれます。

支える側が孤立しないこと。

障がいのある人や家族が「理解される場」を持てること。

その積み重ねが、地域の中に小さな安全基地をつくっていく。

Kagayaは、鍼灸を“施術”としてだけでなく、場を整える技術として活かしたいと考えています。

【Phase4】医療従事者のための創業支援拠点へ

最終的には、医療従事者のための創業支援拠点へ。

Kagayaがここまで構想する理由はシンプルです。

医療や福祉の現場には、志があるのに疲弊し、孤立し「この働き方しかない」と思い込んでしまう人が多いからです。

看護師やセラピストが独立を考えるとき、技術以上に壁になるのは、制度・お金・事業の知識です。

学ぶ場所が少なく、相談できる相手も限られ、結果として「やめたいけど動けない」「動いたけど続かない」という形になりやすい。

だからこそ、きらぼしは将来的に、志の近い人が孤立せずに学び合える拠点へと発展させたいと考えています。

技術だけでなく、制度・お金・事業も含めて学べる場所。

現場の経験を持つ人同士が、現実の言葉で話せる場所。

失敗も含めて共有できる場所。

それは、医療の外側に新しい支援の流れを生む“土壌”になります。

「この働き方しかない」と思い込まなくて済む社会への布石として、きらぼしは少しずつ形を変えながら、歩み続けます。

小さな訪問から始まり、学びの場をつくり、予防の文化を育て、支える人を支える仕組みへ。

ロードマップは、その道筋そのものです。

🌟 きらぼしが目指す社会的役割

きらぼしの目的は、事業を大きくすることや、売上を伸ばすことそのものではありません。

Kagayaがきらぼしを通して目指しているのは、医療やケアのあり方そのものに、静かに問いを投げ続けることです。

医療や福祉の現場に近く関わる中で、Kagayaは何度も感じてきました。

医療は確かに多くの命を救い、生活を支えてきた一方で、その仕組みだけに頼り切った社会は、どこか息苦しさを抱えているということです。

病気になってから、症状が重くなってからでなければ、支援の対象にならない。

その前段階にある「違和感」や「小さな不調」は、自己責任として扱われやすい構造があります。

きらぼしが目指す一つ目の役割は、予防医学を「特別なもの」から「文化」へと変えていくことです。

予防という言葉は、どうしても「意識が高い人がやるもの」「余裕のある人のためのもの」と受け取られがちです。

しかし本来、予防とは日常の延長線にあるものであり、特別な努力や高額な投資を前提とするものではないはずです。

少し立ち止まること、身体の感覚に気づくこと、誰かに話せる場があること。

それだけでも、病気や重症化を防ぐ大きな力になります。

無理をしなくても自然と整う環境を用意することで、予防が生活の中に溶け込む文化を育てたいと考えています。

二つ目の役割は、医療費が増え続ける構造そのものへの問いです。

医療費の増大は、個人の問題ではなく、社会構造の問題です。

高齢化や医療技術の進歩だけでなく、「不調を我慢し続け、限界を超えてから医療につながる」という流れそのものが、結果的に医療費を押し上げています。

支える人が壊れてから支援される構造は、本人にとっても、社会にとっても、大きな負担になります。

きらぼしは、この構造を一気に変えられるとは考えていません。

けれど、小さな現場から「壊れる前に立ち止まれる選択肢」を積み重ねることで、医療に流れ込む負荷を少しずつ軽くしていくことはできると考えています。

医療を減らすのではなく、医療に依存しすぎない流れをつくる

それが、きらぼしの立ち位置です。

三つ目の役割は、検診や予防に保険が使える未来への布石を打つことです。

現在の制度では、多くの予防的ケアは保険の対象外です。

そのため「必要だとわかっていても受けられない」「後回しにしてしまう」という人が少なくありません。

しかし、予防の段階で介入できれば、防げた重症化や長期療養は確実に存在します。

きらぼしは、制度を批判する立場ではありません。

制度の外側で実践を積み重ね、予防が現実的に機能することを、現場から示し続ける立場です。

小さな成功例や実感の積み重ねが、やがて制度を動かす声になる。

その土台をつくることが、きらぼしの役割だと考えています。

きらぼしは、大きな声で社会を変えようとする場所ではありません。

小さな現場から、静かに、しかし確実に問いを投げ続ける実験場です。

医療と日常のあいだ、制度と暮らしのあいだにある隙間に灯りを置き、「こういう在り方もある」と示し続けること。

その積み重ねが、医療のあり方そのものを、少しずつ変えていくとKagayaは信じています。

🌟 まとめ:きらぼしという灯り

きらぼしは、最初から大きな理想や完成形を掲げて始まった事業ではありません。

小さく始まり、必要な人にだけ届き、長く灯り続けること

それが、Kagayaが大切にしてきた姿勢であり、これからも変わらない指針です。

  • 小さく始まり
  • 必要な人に届き
  • 長く灯り続ける

医療や福祉の世界では、「もっと多くの人に」「もっと効率よく」「もっと成果を」と求められる場面が少なくありません。

しかしKagayaは、きらぼしを通して、その逆の価値を選びました。

無理に広げないこと、届かない人を無理に引き込まないこと、そして続けられる形を最優先すること。

それは、灯りを消さないための選択でもあります。

きらぼしが目指しているのは、劇的な変化や即効性のある解決ではありません。

病気になる前に、ふと立ち寄れる場所。
壊れてしまう前に、少し立ち止まれる場所。
支える側の人が、支えられる側に戻れる場所。

そんな場所が、社会のあちこちに点在していたなら、医療や福祉の風景は、今とは少し違ったものになるかもしれません。

誰かが限界を超えてから支援につながるのではなく、その手前で呼吸を整えられる選択肢がある。

その積み重ねが、人の人生だけでなく、社会全体の負担の在り方をも変えていくと、Kagayaは信じています。

きらぼしがどのように始まり、どのように迷い、どのように形を変えながら歩いてきたのか。

その試行錯誤の記録であり、同じような違和感や問いを抱えている人と出会うための場所です。

もしこの文章を読んで、「自分も少し立ち止まりたい」「支える側として疲れているかもしれない」と感じたなら、その感覚は間違いではありません。

きらぼしは、そうした小さな気づきを否定しない場所でありたいと考えています。

きらぼしは、誰かの人生を劇的に変える灯台ではありません。

けれど、暗闇の中で「まだ大丈夫かもしれない」と思えるくらいの、ささやかな光にはなれる。

Kagayaは、その役割で十分だと感じています。

-きらぼし成長日記