
こんにちは。
プライマリ・ケアサポート きらぼし、鍼灸師・看護師のKagayaです。
この記事は、Kagayaがこれまで行ってきた「自分の棚卸し」と、そこからどのように現在のビジネス構想に至ったのかを、一つの流れとしてまとめたものです。
職場を転々とした経験、制度への違和感、個人事業主という選択、そして、まちの保健室カフェとシェアサロン構想。
点として存在していた出来事を、線としてつなぎ直す作業でもあります。
これまでKagayaは、目の前の現場に必死で向き合いながら働いてきました。
看護師として求められる役割に応え、鍼灸師として身体を診る視点を磨き、その都度「今できること」を選び続けてきたつもりです。
しかし振り返ってみると、出来事一つひとつを深く整理する余裕はあまりなく、「とにかく次へ進む」ことを優先してきた部分もありました。
職場を変えるたびに理由はありましたが、それを言語化することなく、自分の中だけで処理してきたため、気づけば転職歴そのものが負い目のように感じられるようになっていました。
棚卸しを始めたきっかけは、「このままでは、自分のやってきたことがすべて点のまま終わってしまう」という感覚でした。
どれだけ経験を積んでも、それが他人に説明できず、自分自身でも意味づけできないままでは、次の一歩が重くなっていく。
Kagayaにとって棚卸しは、過去を振り返って反省するための作業ではありませんでした。
むしろ、これまでの経験を“使える形”に変換するための作業です。
失敗や違和感も含めて並べ直し、「なぜそう感じたのか」「なぜその選択をしたのか」を丁寧に言葉にしていくことで、初めて次の構想が現実味を帯びてきました。
看護師という仕事は、現場だけを見ていると分かりにくい構造の上に成り立っています。
医療制度、社会保険料、事業所の経営方針、報酬体系、人材確保の仕組み。
どれか一つが変わるだけで、現場の空気や働き方は大きく変わります。
Kagayaが感じてきた「しんどさ」や「違和感」は、決して個人の能力不足や性格の問題だけではありませんでした。
制度と現場の間にあるズレ、組織と専門職の価値観のズレ、そして支える側が消耗していく構造。
その存在に気づいたことで、Kagayaは「ただ働き方を変える」のではなく、「構造そのものを組み替える必要がある」と考えるようになりました。
さらにKagayaには、看護師に加えて鍼灸師という資格があります。
西洋医学と東洋医学という異なる視点を持つことで、医療の内側と外側の両方を見ることができるようになりました。
病院に行くほどではない不調、制度の対象にならない困りごと、相談先が分からず孤立していく人たち。
そうした存在は、決して少数ではありません。
同時に、資格を持ちながら組織に馴染めず、現場を離れてしまった医療従事者も数多くいます。
Kagayaの構想は、この「支援を必要とする側」と「支援する側」の両方の行き場のなさを、どうすれば少しでも減らせるかを考え続けた結果として形になってきました。
この記事では、Kagayaが完璧な答えを見つけたという話をしたいわけではありません。
むしろ、迷い続け、違和感を抱え続けた記録です。
その迷いの中で行った棚卸しが、結果として「まちの保健室カフェ」や「シェアサロン」という構想につながり、さらにその先の訪問ケアの形へと広がっていきました。
点だった経験を線にすることで、初めて見えてきた景色があります。
🌟 ジプシーナースという自己否定から始まった棚卸しと「一貫性の回収」
Kagayaは、長い間、自分のことを「ジプシーナース」と呼んでいました。
この言葉には、どこか軽さや自嘲が含まれていますが、実際にはかなり強い自己否定が込められていました。
職場を転々としてきたこと、一つの組織に長く定着できなかったこと、履歴書に並ぶ複数の勤務先。
それらはすべて、「看護師として何かが欠けているのではないか」という疑念につながっていました。
感覚的には、結婚歴で言えば「×がいくつも並んでいる」ような気持ちでした。
周囲が安定したキャリアを積み上げていく中で、自分だけがうまく根を張れずにいるような感覚。
転職の理由は一つひとつ説明できるはずなのに、それを言葉にしようとすると、どこか言い訳めいて聞こえてしまう。
だからこそKagayaは、自分で自分を先に下げるように「ジプシーナース」と名乗ることで、他人からの評価を受ける前に、自分自身を裁いていたのかもしれません。
性格検査では、昔から「協調性が低い」と出ることが多く、実際、Kagayaはチームナーシングができませんでした。
複数人で動くこと自体が苦手というよりも、空気を読んで合わせ続けること、暗黙の了解を前提に動くこと、感情や人間関係が業務に強く影響する環境に、強い疲労を感じてきました。
それでも看護師という職業を選んだ以上、協調性は必要な能力だと思い込み、その前提を疑うことはありませんでした。
だからこそ、協調性が前提とされる職種、協調性が評価軸となる職場に居続けてきました。
「慣れればできるようになる」「努力すれば克服できる」と自分に言い聞かせながら、違和感を抱えたまま働き続けていたのです。
うまくいかないことがあるたびに、努力が足りないのではないか、我慢が足りないのではないか、と原因をすべて自分に向けてきました。
その結果、看護という仕事そのものよりも、「自分は向いていないのではないか」という思いが、心の中で大きくなっていきました。
しかし、自分の棚卸しを丁寧に進めていく中で、Kagayaの視点は少しずつ変わっていきます。
これまでの職歴や経験を、評価や感情を一旦脇に置いて並べてみたとき、ある共通点が浮かび上がってきました。
それは、働く場所や組織は変わっていても、関わってきた対象や役割がほとんど変わっていないという事実です。
Kagayaは一貫して看護師として、そして重症心身障がい児(者)に関わる現場に身を置いてきました。
病院、施設、訪問と形は違っても、医療的ケアが必要な人の生活を支えるという軸は変わっていませんでした。
呼吸や嚥下、姿勢や筋緊張、発作や睡眠、生活リズム。
診断名だけでは語れない「暮らしの安定」をどう守るかという視点で、現場に立ち続けてきました。
それにもかかわらず、評価の基準が「どこに何年勤めたか」「組織にどれだけ順応できたか」に置かれていたため、その一貫性は見えにくくなっていただけでした。
ここでKagayaは、重要な事実に気づきます。
一貫性がなかったのではなく、評価されにくい一貫性を持っていただけだったということです。
ジプシーナースという言葉でひとまとめにしていた転職歴は、キャリアの失敗ではありませんでした。
むしろ、組織の枠組みと相性が合わなかった専門職が、自分の役割を求めて移動を重ねてきた結果だったのです。
この気づきは、Kagayaにとって大きな転換点でした。
自分を責めるために使っていた言葉や過去が、そのまま次の構想の材料に変わっていったからです。
ジプシーナースという自己否定は、棚卸しを通して「説明可能なキャリア」へと姿を変えました。
🌟 ジプシーナースからハイブリッドナースへ|看護師×鍼灸師という働き方の定義
Kagayaは「ジプシーナース」という自己否定を手放したあと、次に必要になったのは「自分は何者か」を再定義することでした。
ここでKagayaが選んだ言葉が「ハイブリッドナース」です。
ハイブリッドは、飾りの肩書きではありません。
看護師であることを軸にしながら、鍼灸師としての視点と手段を重ね、必要な場面で切り替えられる状態を指しています。
西洋医学は、リスクを見落とさないための強力な言語を持っています。
観察、評価、判断、急変対応、説明責任。
重症心身障がい児(者)領域では、この土台がなければ安全が崩れます。
一方で、東洋医学は「診断名がつく前の揺らぎ」や「生活の積み重ねとしての不調」を扱うのが得意です。
冷え、緊張、睡眠、呼吸の浅さ、気分の沈み、食欲の波。
こうした“軽いが長い不調”に対して、早い段階で手を打てる発想と手段があります。
Kagayaが現場で何度も見てきたのは、医療の中だけでは救い切れない人がいるという事実です。
病院に行くほどではない、検査は異常なし、でも本人は確かにしんどい。
そういう人ほど孤立し、情報がなく、相談の入口が見つからず、悪化してから制度に乗る。
ハイブリッドナースは、この“制度に乗る前”の段階を扱うための役割です。
看護師として危険を見極め、必要な医療につなぐ力を持ちながら、鍼灸師として日常の中で整える選択肢も提示できる。
どちらか一方ではなく、両方の地図を持っていることが価値になります。
ここで重要なのは、ハイブリッドが「何でも屋」ではないことです。
むしろ逆で、ハイブリッドは“境界線を引ける”存在です。これは医療へ、これは生活へ、これは福祉へ、これは心理社会的支援へ。
切り分けたうえで、つなぐ。
Kagayaが協調性を求められる組織で消耗してきた経験は、ハイブリッドとして独立する段階では意味を持ちます。
組織の空気に合わせるより、対象者に必要なものを構造として組み立てる方が向いている。
だからKagayaにとって、ハイブリッドナースは「性格の弱点を補う言葉」ではなく、「働き方を成立させる定義」になりました。
🌟 株式会社の訪問看護で見えた構造と個人事業主という選択
Kagayaが決定的な違和感を覚えたのは、株式会社が運営する訪問看護で働いた経験でした。
それまでにも訪問看護の現場で感じる細かなズレや息苦しさはありましたが、このとき初めて「個人の努力ではどうにもならない構造」がはっきりと見えてしまいました。
現場で懸命にケアをしている看護師たちと、経営の論理との間にある溝。
その存在を、無視できなくなったのです。
特に強く感じたのは、給与と運営方針の関係でした。
給料が比較的高い事業所ほど、制度を最大限に使い、場合によっては不正受給に限りなく近い運営をしているように見える。
一方で、利用者の状態を最優先にし、無理な算定を避け、まっとうな判断を積み重ねている事業所ほど、給料は低く抑えられている。
この構図は、働くうちに偶然そうなったものではなく、最初から仕組みとして組み込まれているように感じられました。
この差は、看護師個人の能力や努力の問題ではありません。
真面目にやっているから給料が低い、要領よく制度を使えるから給料が高い、という単純な話でもありません。
根底にあるのは、社会保険料を原資とした報酬制度そのものです。
会社が利益を出せば給料は上がる。
しかし、その財源は社会保険料です。
つまり、現場で働く人がどれだけ頑張っても、その構造の中にいる限り、誰かが負担した保険料の上に成り立っているという現実から逃れることはできません。
儲かれば儲かるほど、制度は消耗し、最終的に保険料は引き上げられていく。
その循環を、Kagayaは自分自身の生活と重ね合わせて考えるようになりました。
看護師として医療を提供する側でありながら、同時に社会保険料を支払う当事者でもある。
その立場から見たとき、「自分は制度を支えているのか、それとも消耗させている側に回っているのか」という問いが、頭から離れなくなりました。
この構造に気づいてしまった以上、知らなかったふりをして働き続けることはできませんでした。
誰かを責めたいわけではありません。
制度を使うこと自体が悪いとも思っていません。
ただ、「社会保険料で儲けるビジネス」に自分が加担し続けることに、どうしても納得がいかなかったのです。
Kagayaが感じた違和感は、理想論ではなく、生活者としての実感でした。
そうしてKagayaは、個人事業主になることを選びます。
これは勢いで決めた選択ではありません。
構造を理解した上で、「自分はどこに立ちたいのか」を考えた結果でした。
訪問看護で独立するには、制度上、仲間が3人必要です。
しかしKagayaは、一人でやりたかった。
チームを否定したいわけではなく、まずは自分一人で責任を持てる範囲で、納得できる形を作りたかったのです。
一人でやるためには、保険を使わない「自費」という選択肢しかありませんでした。
多くの人にとって、自費は不安が大きい選択です。
安定しないのではないか、利用者が来ないのではないか、続かないのではないか。
Kagaya自身も、その不安がなかったわけではありません。
しかし、ここで鍼灸師たちの働き方を見てきました。
鍼灸師の保険制度は使いづらいため、保険に頼らないビジネスをしています。
価値をどう伝えるか、どう納得してもらうか、その積み重ねで成り立っています。
保険を使わなくても、価値が伝われば仕事は成立する。
その現実を、鍼灸の現場で体験しました。
だからこそKagayaは、「保険を使わない働き方には可能性がある」と確信することができました。
それは、保険を否定することでも、医療を否定することでもありません。
自分が納得できる距離感で制度と関わり、無理のない形でケアを続けていくための、一つの選択肢です。
🌟 鍼灸カフェから、まちの保健室カフェへ|身体の不調と社会資源をつなぐ入口
まちの保健室カフェの原型は、もともと「鍼灸カフェ」という構想でした。
鍼灸院ほど敷居は高くなく、カフェほど軽すぎない。
お茶を飲むような感覚で立ち寄りながら、東洋医学と西洋医学の両方の視点から、自分の身体を整理できる場所。
病院に行くほどではないけれど、なんとなく不調が続いている。
そんな「グレーゾーン」にいる人が、安心して立ち止まれる場を作りたい、という発想から始まっています。
東洋医学では、体調の変化を「未病」として捉えます。
明確な病名がつく前の段階で、すでに身体はサインを出している。
一方、西洋医学では、数値や診断名によって状態を整理します。
Kagayaは、看護師として西洋医学の現場に立ち、鍼灸師として東洋医学に触れる中で、そのどちらか一方だけでは拾いきれない不調が、確実に存在することを実感してきました。
だからこそ、両方の視点を行き来できる場所として、鍼灸カフェという形を思い描いたのです。
しかし、実際に現場で人と関わる中で、Kagayaは次第に別の「詰まり」に気づくようになります。
それは、身体の不調だけでは説明できない違和感でした。
話を聞いていくと、症状そのものよりも、「制度を知らない」「どこに相談すればいいか分からない」「そもそも、これは相談していい内容なのか判断できない」といった戸惑いが、背景にあることが少なくありませんでした。
医療、福祉、教育、行政。
社会にはさまざまな制度や窓口があります。
しかし、それらは基本的に「困っている人が自分でたどり着くこと」を前提に設計されています。
情報を調べ、問い合わせ先を探し、必要な言葉を選んで相談する。
その一連の行動ができる人にとっては、制度は助けになります。
けれど、疲れている人、不安が強い人、何が問題なのか自分でも整理できていない人にとって、そのハードルは想像以上に高いものです。
そうして人は、誰にも相談できないまま孤立していきます。
身体の不調、経済的な不安、家族関係、育児や介護の負担。
それらが絡み合い、出口が見えなくなった結果、事件や深刻なトラブルに発展してしまうケースがあります。
そのたびに、「もっと早く、誰かとつながれていれば」「制度にたどり着く前の段階で、立ち止まれる場所があれば」と思わずにはいられませんでした。
この気づきによって、鍼灸カフェという構想は、大きく形を変えていきます。
身体を整える場所であると同時に、社会資源とつながるための入口を持つ場へ。
ただ施術を提供するだけではなく、話を聞き、状況を整理し、「次にどこへつながればいいのか」を一緒に考える。
その役割を担う場所が必要だと感じるようになりました。
病院でもない。
役所でもない。
専門職がいるけれど、いきなり診断や手続きを迫られない。
そんな中間的な場所であれば、不安や悩みを、もう少し気軽に口にできるのではないか。
そうした発想から生まれたのが、まちの保健室カフェです。
まちの保健室カフェは、「治療する場所」ではありません。
答えを即座に出す場所でもありません。
身体と社会、個人と制度、その「あいだ」に立ち、立ち止まることを許す場所です。
ここで一度呼吸を整え、話をして、自分の状態を言葉にする。
その上で、必要であれば医療や福祉、行政へとつながっていく。
そうした流れを自然に作るために、このカフェは設計されています。
鍼灸カフェから、まちの保健室カフェへ。
この変化は、コンセプトの拡張であると同時に、Kagaya自身の棚卸しの結果でもあります。
身体だけを診るのでは足りない。
制度だけを語っても届かない。
その間に立てる存在でありたい。そうした思いが、この場所の土台になっています。
🌟 シェアサロンという「行動できる人」を育てる仕組み
訪問看護で求人を出しても、人がなかなか集まらない。
Kagayaは、その現実に直面したとき、単なる人手不足とは違う「構造的な違和感」を覚えていました。
忙しい、きつい、給料が見合わない。
そうした理由だけでは説明できない空白が、現場には確かに存在していました。
看護師は、毎年数万人単位で国家資格を取得しています。
数字だけを見れば、人が足りないはずはありません。
それでも現場に来ない。
あるいは、資格を持ったまま、現場から離れている人が一定数存在している。
この事実は、「人がいない」のではなく、「人が戻れない」状態が生まれているのではないか、という問いをKagayaに投げかけました。
では、なぜ働かないのか?
家庭の事情、体力の問題、ブランクへの不安。理由はさまざまです。
しかしKagaya自身の経験を重ね合わせると、もう一つの理由が浮かび上がってきました。
それは、チームナーシングに疲れ、組織の中で自分の役割を見失ってしまった人たちの存在です。
能力がないわけではない。
むしろ、専門性は高い。
それでも、組織という枠組みの中では、うまく呼吸ができなくなってしまった人たちです。
もしそうであれば、解決策は「組織に戻すこと」だけではないはずです。
無理にチームに適応させるのではなく、別の働き方を用意する。
個として立ちながら、必要なときだけ人と関わる。
そうした選択肢があってもいいのではないか?
Kagayaはそう考えるようになりました。
しかし、いきなり開業するのはリスクが大きすぎます。
資金、集客、制度、責任。
ハードルは高く、多くの人が「いつかは」と思いながら動けないまま時間だけが過ぎていきます。
セミナーに参加しても、良い話を聞いて終わる。
ノウハウは増えるのに、現実は何も変わらない。
その状態を、Kagaya自身も何度も経験してきました。
だからこそ必要だと感じたのが、行動レベルで学べる場所です。
知識を得る場ではなく、実際にやってみる場。
考える前に、まず一歩動ける環境。
そうした発想から生まれたのが、医療系資格者限定のシェアサロン構想でした。
シェアサロンでは、いきなり大きな決断を求められません。
小さく試せる。
失敗しても、元の生活に戻れる。
自分でメニューを考え、価格を決め、お客さんに説明し、対価を受け取る。
その一連の流れを、実際のお客さんと関わりながら経験していきます。
ここで得られるのは、成功体験だけではありません。
「できなかった」という経験も含めて、自分の現在地を知ることです。
このプロセスを通して、多くの人は初めて、自分に足りないものが何かに気づきます。
技術なのか、説明力なのか、価格設定なのか。
それは座学では見えてこない部分です。
そして同時に、「思っていたよりできた」という感覚を得る人もいます。
この小さな成功体験の積み重ねが、「行動できる人」を育てていきます。
まちの保健室カフェとシェアサロンをつなぐことで、利用者と担い手が循環する仕組みも生まれます。
カフェに来た人が、シェアサロンで活動する人のサービスを利用する。
シェアサロンで経験を積んだ人が、地域に根を張っていく。
そこには、誰かを搾取する構造はありません。
あるのは、役割が自然に移り変わっていく循環です。
シェアサロンは、起業家を量産するための場所ではありません。
無理に独立を煽る場でもありません。
「やってみた上で、続けるかどうかを決めていい」。
その余白を持たせることこそが、この仕組みの核心です。
行動できる人が育ち、必要なときに協同できる関係が生まれる。
その土台として、シェアサロンは位置づけられています。
これらすべてを含めて、Kagayaのビジネス構想は成り立っています。
個人を消耗させるのではなく、行動を支え、循環を生む。
そのための仕組みとして、シェアサロンは欠かせないピースなのです。
🌟 シェアサロンの先にある「訪問鍼灸リハビリ看護ステーション」という循環
まちの保健室カフェとシェアサロン構想は、それ単体で完結するものではありません。
Kagayaがこの二つを同時に考えてきたのは、どちらか一方だけでは「支える側」も「支えられる側」も、長く持続できないと感じてきたからです。
地域には、病院に行くほどではない不調や、制度の入口にすら立てない不安を抱えた人がいます。
一方で、医療者側にも、組織に合わず消耗してしまった人、資格はあるのに働けない人、独立したいのに方法が分からず立ち止まっている人がいます。
Kagayaの構想は、この両者を別々に扱うのではなく、同じ循環の中で支え合えるように設計されています。
Kagayaが最終的に見据えているのは、訪問鍼灸リハビリ看護ステーションの開設です。
ただし、それは従来の「求人を出して人を集める」訪問看護事業所とは、成り立ちがまったく異なります。
これまで訪問看護では、人が集まらないことが大きな課題でした。
給料を上げても来ない。
条件を良くしても続かない。
結果として、制度を最大限に使い切る経営に傾き、現場と制度の歪みが拡大していきます。
Kagayaは、その構造自体に無理があると感じていました。
人を集めるために条件を過剰に上げれば、今度は制度への依存が増え、算定を最大化する圧力が現場に降りてくる。
すると現場は疲弊し、倫理は擦り減り、結局は人が離れていく。
これでは永遠に同じところを回り続けるだけです。
そこでKagayaは発想を逆転させます。
先に人が集まる場を作り、その人たちが「やりたい」と思った段階で、事業所を立ち上げればいいのではないか。
この「先に人が集まる場」が、医療系資格者限定のシェアサロンです。
シェアサロンは、単なる場所貸しではありません。
独立したい人が、いきなり大きなリスクを背負わずに、小さく試しながら「自分は何ができるか」「何が足りないか」を現実の中で確認していく場です。
お客さんに説明し、価格を決め、対価を受け取り、改善を重ねる。
その繰り返しで、個人として立つ力が育っていきます。
シェアサロンには、看護師、あはき師、リハビリ職など、資格はあるけれど組織には馴染めなかった人たちが集まります。
彼らは、チームナーシングができなかった人かもしれません。
組織の空気に合わせることが苦手だった人かもしれません。
けれど、ここでKagayaが重要だと考えているのは、専門性がないわけではないという点です。
むしろ、個としての力は高い。
現場の判断力、観察力、説明力、そして目の前の人を落ち着かせる力。
それらは組織の中では埋もれてしまいがちですが、個人で動く場では強みに変わります。
シェアサロンは、その強みを現実の形に変換していく場所です。
この段階では、まだ訪問看護事業所は存在しません。
まずは、自分の足で立てる医療従事者を増やすこと。
ここが最初の目的です。
Kagayaは、いきなり協同やチームを推奨したいわけではありません。
むしろ、先に個が立てることが重要だと考えています。
なぜなら、個が立てていない状態で協同すると、関係が依存や搾取に変わりやすいからです。
誰かが過剰に背負い、誰かがぶら下がり、いずれ崩れます。
だからこそ、シェアサロンで「個人で稼ぐ経験」を積み重ね、まずは自分で責任を持てる範囲を獲得していく。
これが循環設計の前提になります。
そして、「一人ではできないことがある」と感じたときに、初めて協同という選択肢が浮かび上がります。
訪問の現場は、個人の力量だけでは担いきれない領域があります。
緊急時のバックアップ、医療的判断の連携、制度との折衝、記録や体制、継続的な運営。
個が立てば立つほど、次に必要になるのは「補完」です。
そのときに立ち上がるのが、訪問鍼灸リハビリ看護ステーションです。
ここで重要なのは、雇われるための事業所ではないという点です。
Kagayaが目指しているのは、求人を出して人を集める仕組みではありません。
シェアサロンに集まった医療従事者が、協同して運営する。
すでに顔が見えている。
価値観も分かっている。
お互いの強みと弱みも理解している。
だから「人が来ないから求人を出す」という発想にはなりません。
人は、すでにここにいる。
この順番が、従来の訪問看護と決定的に違うところです。
訪問鍼灸リハビリ看護ステーションは、保険を使うための箱ではなく、個人では担えない部分を補完するための器です。
一人では難しい医療的判断、緊急時のバックアップ、制度との折衝。
そうした部分を協同で担うことで、無理なく持続可能な訪問ケアが可能になります。
さらに鍼灸やリハビリの視点を加えることで、訪問看護だけに寄らない支援の幅が生まれます。
症状が重くなる前に整える、拘縮や緊張をゆるめる、呼吸を深くする、睡眠を整える。
生活の中でできることが増えれば、結果として医療の消耗も減っていきます。
まちの保健室カフェで地域とつながり、シェアサロンで個が育ち、訪問鍼灸リハビリ看護ステーションで協同する。
これは、搾取や消耗を前提にした医療ビジネスではありません。
医療費を無駄に使わない。
でも、本当に必要な人には届く。
支える側も、無理なく続けられる。
そんな循環を作るために、Kagayaはこの構想にたどり着きました。
これは理想論ではなく、これまでの経験と棚卸しから導かれた、現実的な選択肢です。
🌟 次のステップ|創業計画書を立案し、助成金を獲得していく
Kagayaの棚卸しは、点だった経験を線にし、仕組みに変えるための作業でした。
まちの保健室カフェで地域とつながり、シェアサロンで医療者が育ち、訪問鍼灸リハビリ看護ステーションで協同する。
搾取ではなく循環で続く導線を、現実的な形にしていきます。
次に取り組むのは、創業支援計画書(創業計画書)の立案と、助成金・補助金の獲得です。
構想を「良いアイデア」で止めず、資金計画と実行計画に落とし込み、申請できる形まで整えていきます。
助成金・補助金は、熱意だけでは通りません。
審査で見られるのは、継続性と実現可能性です。
そのためにKagayaは、まず以下を言語化し、数字で裏付けます。
・誰の、どんな困りごとを解決するのか(対象と課題)
・なぜKagayaがやるのか(経験と専門性)
・何を提供するのか(サービス設計)
・どうやって届けるのか(導線と集客)
・いくらで、どれだけ売上を作るのか(収支計画)
・いつ、何を、どの順番で進めるのか(実行計画)
そして、助成金・補助金の申請では「事業の公共性」も重要になります。
まちの保健室カフェは、孤立をほどき、早期相談につなげ、重症化を防ぐ入口になり得ます。
シェアサロンは、資格を持つ医療者が小さく実践しながら学び直し、地域で働き続けるための基盤になり得ます。
こうした価値を、制度の言葉で説明できる形に整え、申請書に落とし込んでいきます。

